幸徳秋水「私の思想の変化(普通選挙について)」(1907年)

※よみやすくするため、原文の語句、語尾などをかなり改変しています。原文はこちらhttp://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/koutoku03.html#11*1

私は正直に告白する。私の社会主義運動の手段と方針に関する意見は、一昨年の入獄*2当時より少し変化し、さらに昨年の旅行*3において大きく変化し、いまや数年前をかえりみれば、われながらほとんど別人の感がある。

私はそのために堺君〔堺利彦(枯川)。1870-1933。Wikipedia〕とは数十回の激論を闘わせ、他の二・三の友人ともしばしば議論を試みた。そして『光』の紙上でもときどきその一端を書いたので、すでに大体を知っている人もいるだろう。しかし私は、これまで適当な機関がなかったのと、病気で執筆が難儀であったがために、すべての同志諸君にむかって、大体の趣旨を明言することができなかった。いまや機会は来た。永く沈黙しているのは主義のために決して忠実なものではない。

ゆえに私は正直に告白する。「かの普通選挙や議会政策ではまことの社会的革命をなしとげることはとうていできない。社会主義の目的を達するには、まず団結した労働者の直接行動(direct action)によるほかはない」。私の現時点での思想は実にこのようなものである。

私はかつてドイツ社会主義者もしくはその流れを汲んだ諸先輩の説だけを聴いて、あまりに投票と議会の効力に重きをおいていた。「普通選挙が行われれば必ず多数の同志が選出される。同志が議会の多数を占めれば、議会の決議で社会主義を実行することができる」と思っていた。無論これと同時に、労働者の団結が急務であることも認めていたのは間違いないが、少なくとも日本の社会運動の第一着は、普通選挙のほかにはないと信じて、口でも論じたし筆にも書いた。がこれははなはだ幼稚な単純な考えであったと思う。
細かく考察すると、今のいわゆる代議制なるもので、多数の幸福が測りうるはずがない。まずその選出のはじめから、候補者、運動者、壮士、新聞紙、瞞着、恐嚇、饗応、買収とゴッタがえして選出された代議士に、国家とか人民とかいうまじめな考えをもつものがはたして何人いるだろうか。仮に適当な人物が選出されたとしたところで、環境が変われば心も変わる。議員としての彼らはもはや候補者としての彼らではない。首都の政治家としての彼らはもはや田舎の有志としての彼らではない。選挙以前の気持ちを持続できるものははたして何人いるだろうか。議員の全部、少なくともその大多数が生命としているのは、いつも一番上が名誉で、中が権勢、その他は利益のみではないか。彼らの眼中には、一身あるのみ、一家あるのみ、もっとも高い人物でも一党派あるのみではないか。
これは今日の日本のことだけではない。日本の制限選挙の下においてだけのことではない。スイスでもドイツでもフランスでもアメリカでも、その他いかなる普通選挙の下においても、選挙で勝利を占めた者は、多くは最も金のある者、もしくは最も鉄面皮の者、もしくは最も人気取りに巧みな者で、国中、または党中の第一流の人物が選出されるのはきわめてまれな事実である。ゆえにこれまで厳正な意味において民意が代表されている議会は、世界を通じて皆無といっていいぐらいだ。そのとおり、たとえ普通選挙の下においても議会は決して完全に民意を代表し得ないというのは、今日では万国の学者の多数が認めるところである。だから公平選挙法(proportional)だの、直接投票(referendum)だの、人民発議権(initiative)だのと、種々の救治策が講じられるのである。

しかしこれらの救治策の利点と欠点を詳論するのはしばらく措く。しょせん議会は人民の多数すなわち労働階級によって組織されるものではなくて、労働階級を敵視し、または踏み台とするブルジョワジー*4によって組織されるのは、現今の事実である。老クロポトキン〔ピョートル・クロポトキン。1842-1921。Wikipedia〕がその『賃金制度論』(Wage System)の中で「代議政体は中等階級が一面王家に反抗して頭をもたげ、同時に彼らが労働階級を支配抑制するためにこしらえた一組織である。すなわち中等階級の統治にともなう特有の形式である」と論じたのは急所をついた言葉である。もとより議員はブルジョアジー出身のみではなく、普通選挙となれば多くの労働者議員も出るであろう。イギリスは去年すでに50名の労働者を出した。しかもこれらの議員は当選するやいなや、その多くは直ちに労働者気質をなくしてしまって、美衣美食のブルジョワジーの風にカブレて得々としているので、はげしく攻撃されているではないか。
番頭でその店主のために便宜を計るものは多い。弁護士でその依頼人のために便宜を計るものも多いが、議員だけは決して労働階級全体のために便宜を計ることがない。かりに彼らが人民のために有害な法律を改廃し、または便利な法律を作ったとしても、これは自分の一時の名誉もしくは利益と一致し、もしくは再選の準備と一致する場合にかぎるのである。

現時の議員はこのように卑しくても、社会党の議員となればみな真面目だから民意に背く恐れはないとの説がある。なるほど今日日本の社会主義者はみな真面目である。いずれの党派でもその逆境にある時には、不真面目な人は少ないのである。逆境の党派では得になることがないので、不真面目な人はよってこないためである。しかしある日社会主義が勢いを得て、選挙で多数を得る日があったとせよ。その時、社会主義を標榜して選挙を争う多くの候補者は、かならず今日の真面目な人々ではなくて、実に自分の名誉のために権勢のために利益のために、もしくは単に一議席を得るために社会党に加盟するものに違いはない。そうしてその当選者の多くはやはりもっとも金ある者、鉄面皮の者、人気取りに巧みな者に違いないのである。
自由党が逆境にあるとき、党員はみな義憤に満ちた志士で、その意気精神は今日の社会主義者の遠くおよぶところではなかったのだ。ところが彼らが議会の一勢力となるや否や、彼らはもはや人民の利害を考えるよりも、まずその勢力の維持を急ぐようになった。その議席を確保すること、その利益を増進することを急ぐようになった。そうしてすぐに提携、妥協、交譲等の美名の下に、かつての革命党はまったくその仇敵だった藩閥政府の奴隷となってしまったではないか。これは少しも不思議なことではない。単に国会開設を目的とし、議会の多数を占めることを目的として進んだ政党が、その目的を達するとただちに腐敗し去るのは当然である。もし社会党がこのような投票の多数、議席の多数という世俗的勢力に眩惑し垂涎して、これをもってその第一の事業となすのであれば、失敗例はそんなに昔のことではなく自由党の末路を見ればわかる、その前途はきわめて危険と言わねばならぬ。

いや自由党だけではない。現に社会党にあってもフランスのミルラン〔アレクサンドル・ミルラン。1859-1943。*5〕は先ごろブルジョワジーと妥協して内閣に入ったではないか。英国のジョン・バーンスも今回個人主義者と提携して内閣に入ったではないか。私は個人としてのミルランやバーンスを尊敬する。しかも革命党としての彼らは確かに一歩堕落したのである。投票および議席の多数を望む心は、やがて政権に近づくことを望む心である。政権に近づくことを望む心は、すなわち提携妥協のもとではないか。
英仏の社会党はさいわいに彼らとともに堕落せず、彼らと手をわかって、みずから潔くしたものの、しかもその由来に遡ればミルランもバーンスも実に社会党全体の投票政策、議会政策の産物であることを知らねばならぬ。

もし百歩譲って、選挙というものが実際に公平に行なわれ、適当な議員が選出され、そうしてその議員は常に誠実に民意を代表することが確かであると仮定したとしても、これによってわれわれははたして社会主義を実行することができるだろうか。マルクスの国であり、ラッサール〔フェルディナント・ラッサール。1825-1864。Wikipedia〕の国であるドイツが、普通選挙の下において初めて選出した同志はわずかに2人であった。それ以来81人までこぎつけるのに、実に三十余年の日月をついやしたのである。ところがこの三十余年の難戦苦闘の結果が、わずかに一片の解散詔勅のために吹飛ばされてなんらの抵抗もできぬというにいたっては、投票の多数というものはいかにはかないものではないか。
憲法は中止される時がある。普通選挙権は侵奪される時がある。議会は解散される時がある。議会における社会党の勢力が盛んで抑えがたいと見れば、横暴な権力階級はかならずこれを断行するのだ。現にドイツではしばしば断行されたのだ。事ここにいたればもはや労働者の団結の力に待つほかはない。団結した労働者の直接行動に待つほかはないのだ。ところが普段労働階級自身の団結訓練に力をそそがないで、ただちに直接行動を執ることができるであろうか。

英国の社会民主同盟の首領ハインドマン氏〔ヘンリー・メイヤーズ・ハインドマン。1842-1921。Spartacus Educational〕は去年米国の『ウィルシャー』誌においてこう嘆いている。「日本人はわずかに四十年間において、中世紀の封建制度から近世資本主義制度まで突進した。彼らは他の諸帝国が数世紀を経てなした事業を四十年間に成し遂げた。しかしこの同じ四十年間にわれわれ社会党は何事をなし得たか。ドイツ社会民主党は三百万の人員を有する。ドイツ軍隊の五分の二以上を有する彼らは彼らの目的を知り、時機の到来したのを知る。しかも未だ起ちあがらないのは、あまりに忍耐、謙遜、温厚の度が過ぎるのではないか。四十年間革命党であった彼らは何事をなそうとするのか。私は彼らおよびその国民に問いたい。欧米における死は満州における死よりもさらに大いに恐ろしいのであるか」云々。ハインドマン氏の激しい言葉はまったく無理もないことである。もし三百万の党員が真に自覚した党員ならば、革命はとっくの昔にできているはずである。
しかし投票の党員と自覚の党員とは別物である。選挙の目的に向って訓練した三百万も、革命の目的に向っては何の用をもなさないのだ。かれら普通選挙論者、議会政策論者は常に労働階級に向って説くとき「投票せよ。投票せよ。わが同志の議員さえ選出すれば、同志が議会の多数を占めさえすれば、社会的革命はなるのである。労働者はただ投票すればよいのだ」と言っている。そうして正直な労働者はこれを信じてまず議会に頼る、そうして投票する。そこで投票が三百万という多数に達する。これはただ投票の三百万で、自覚団結の三百万ではないのである。ゆえにイザ革命だ、起てと言われても、そんなはずではなかったのだ、投票でダメならさらに考え直さねばならぬと来る。議会政策が勢力を得れば得るほど、革命運動の意気がくじけるのはこのような次第である。ドイツ連邦中、ザクセンや、リューベックや、ハンブルクなどの社会主義のもっとも盛んな地方では、一昨年ごろ選挙の権利がはなはだしく制限された。しかも人民はこれに反抗して起ちあがることなく、泣き寝入りとなってしまった。ベーベル氏は、総同盟罷工[ゼネスト]その他の直接行動は最後の手段で、選挙権のある間は議会において戦うのが当然だと言っている。私はいつまで同じ事を繰り返すのか怪しまざるを得ない。

ドイツ社会党が、過去四十年間、その選挙運動に費した時間と労力と苦辛と金銭とを、真に労働者の自覚と団結とに費したならば、皇帝や首相に今日のように万歳を叫ばせることはなかったであろう。私はドイツの社会党がまったく労働者を教育しないとは言わない。しかしかれらの事業の大部分が、選挙という一つの目的に傾注されたのは争えないのである。
普通選挙論者、議会政策論者も、無論労働者の自覚と団結を必要としている。たとえ普通選挙が行なわれても、彼らの自覚団結がなければ議会において何事もできないのを認めている。しかし労働者が真に自覚と団結ができるならば、彼らの直接行動で何事でもできるのではないか。いまさら、代議士を選び、議会に頼む必要はないのである。
議員は堕落すればそれきりである。議会は解散されればそれきりである。社会的革命、すなわち労働者の革命は、結局労働者自身の力によらねばならぬ。労働者はブルジョワジーの野心家である議員候補者の踏み台となるよりも、ただちにみずから進んでその生活の安定を図るべきである、衣食の満足を得るべきである。
普通選挙の運動、議員の選挙もまた一種の伝道になるかも知れない。しかし伝道のためにするというならば、なぜ直接の伝道をしないでこのような間接的手段を取るのであるか。有力な団結訓練をこととしないで、臆病な投票を信頼させるのであるか。一人の選挙競争に費す費用は、今の日本で少なくとも二千金を下らないのである。こうした費用だけでもこれを純然たる労働者の伝道団結に費したならば、いかに大きな効果を見ることであろう。
いまやヨーロッパの社会党の多数は議会の勢力の効果が少ないことに飽きてきた。大陸諸国の社会党員と労働階級とは、常に調和しない傾向が生じてきた。英国の労働組合では議員選出に狂奔するものは、その組合員と積立金がしだいに減少している事実がある。これはわれわれ日本の社会党のもっとも注意すべき点ではないか。
労働階級が欲しているのは、政権の略取でなくて「パンの略取」である。法律でなくて衣食である。ゆえに議会に対してほとんど用はないのである。もしわが議会の何条例の一項や何法案の数条を、あるいは作りあるいは改めることのみに頼り安心するだけならば、われわれの事業は社会改良論者、国家社会党に一任しておいてたくさんである。これに反して真に社会的革命を断行して、労働階級の実際生活を向上し保全しようと欲するならば、議会の勢力よりもむしろ全力を労働者の団結訓練に注がねばならぬ。そうして労働者諸君自身もまたブルジョワジーの議員政治家などに頼ることなく、自分の力で、自分の直接行動で、その目的を貫く覚悟がなければならぬ。繰り返していう、投票や議員はけっして頼みになるものではない。

このように言ったからといって、私はけっして選挙権の獲得を悪い事とするのではない。選挙法改正の運動に強いて反対するものではない。普通選挙が行なわれれば、議会が法律を制定改廃するに際して、多少労働者の意向を斟酌する。これだけの利益は確かにある。しかしこの利益はなお労働保険、工場取締、小作人法などの設定や、治安警察法、新聞条例の改正廃止や、その他の労働保護、貧民救助に関する法律、および社会改良事業等と同一の利益に過ぎないのである。ゆえにこれらの運動をなすのは悪事ではない、否、善事には違いないが、とくに社会主義者たるがゆえにぜひともなさねばならぬことではないと思う。
私はまた同志諸君が議員候補に立って選挙を争うのをもけっして悪い事とする者ではない。諸君の議会内における運動にけっして反対する者ではない。私は政府部内にも実業社会にも、陸海軍にも、教育界にも、職工にも、農夫にも、その他すべての社会、すべての階級にわが同志が増加するのを喜ぶのと同一の理由をもって、議員の中にも同志が増加するのを喜ぶのである。ゆえに選挙競争もできるならばするのもよいが、とくに社会党としてしなくてはならぬ急要事とは認められない。
少なくとも社会主義者として、社会党員としての私は、われわれの目的である経済組織の根本的革命、すなわち賃銀制度の廃止をなし遂げるためには、千人の普通選挙請願の調印よりも、十人の労働者の自覚がより緊要だと信ずる。二千円の金を選挙の運動に費すよりも、十円の金を労働者の団結のために使うのが一層の急務だと信じる。議会に十回の演説をなすよりも労働者に向って一回の対話を試みるほうがはるかに有効だと信ずる。
同志諸君、私は以上の理由において、わが日本の社会主義運動は、今後議会政策をとることを止めて、まず団結した労働者の直接行動をもって、その手段と方針とすることを望むのである。
いまや同志諸君の間で、熱心に普通選挙の運動に従事している時に際して、私がこのようなことを言うのは、いかにも忍びない気持がした。そして何回か筆をとりかけて躊躇した。けれど私の良心は私が永い間沈黙することを許さなかった。永い間沈黙するのは、主義のためにはなはだ忠実ならぬことを感じた。そうしてこの運動に従事している諸君もまたこころよく私の告白を勧めてくれたので、あえて諸君の批評と教諭を乞うことにした。
諸君、私が心に思う事に他意がないことを諒承していただきたい。
(日刊平民新聞第十六号)

*1:文語体の『帝国主義』にくらべると、今回の作品は原文も口語体で、そのままでもそれほど読みにくくはありません。というわけで、前回に比べればかなり原文に忠実なのですが、前回と同じく、ちょっとでもわかりにくい語句などは、大胆に置き換えてしまいました。原文(といってもこれも、漢字をかなに直したり、読点を補ったりなどはしています)はこちらhttp://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/koutoku03.html#11にありますのでそちらも参照してください。

*2:1905年2月新聞紙条例違反で禁固5か月の刑を受ける。獄中でクロポトキン無政府主義思想に傾倒。

*3:出獄後の1905年〜1906年アメリカ旅行のこと。

*4:原文は「紳士閥」

*5:初め、改良派社会主義の理論家として活躍。1899(明治32)保守内閣に入閣し、波紋を呼ぶ。第一次世界大戦初期、陸軍大臣。1920(大正 9) 1.20〜 9.24、総理大臣・外務大臣。1920(大正 9)大統領に就任し、次第に右傾化する。1924(大正13)大統領を辞職。http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/japanese/mira.htm