直接行動論と秋水とサルトル その1

前回の幸徳秋水の文章の掲載http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20070627/1182965454は、いささか唐突なものに見えたかもしれない。実は単に私は、シンプルで力強く魅力的なあの文章を読んで素直に面白いと思った、というだけの話だ。
しかし、秋水の直接行動論に対する批判も多く存在することはもちろんだ。例えば、ネット上でpdfで読めるのだが、政治学者辻野功の「明治社会主義運動に関する一考察 : 直接行動論の台頭を中心にして」という論文がある*1(『同志社法學』15(2),115-130,1963年9月)。この論文は、戦前の日本の社会主義運動の失敗の原因は、すべて「直接行動論」にある、として、直接行動論がいかに運動に悪影響を与えたかということをこれでもかと書いている。秋水と田添鉄二らとの論争など、歴史的事実のまとめとしては面白いが、しかし、1963年に書かれたこの論文の論調に対しては、今読んで非常に違和感がある。
辻野のこの論考は、結局、高みからの後出しじゃんけんである。辻野によると、なぜ直接行動論がダメかということの論拠としては、それが「ブルジョア・デモクラシーの発展法則を無視していた」からであるそうだ。

このような社会主義運動におけるブルジョア・デモクラシーの発展法則の無視は、ブルジョア民主主義者との統一戦線─たとえば普通選挙連合会─の結成を通じて、ブルジョア・デモクラシーの発展(普通選挙権の獲得等)を可能にし、社会主義運動を飛躍的に発展させ得たにも拘らず、自らその芽を摘みとることになった。

しかし、そのような「発展法則」なるものがあるといっているのは辻野である。そのような「法則」にしたがった「発展」が本当に可能だったのかどうか、そしてそれが本当に直接行動論によって邪魔されたのかどうか、は実はわからない。そして辻野は、「戦前の社会主義運動は失敗した」という「事実」をもって、鬼の首をとったように直接行動論を批判する。いわく、直接行動論が主流となったことは、「日本の社会主義運動をやがて破局にみちびく最大の原因になった」。いわく、直接行動派と議会制作派の「分派闘争」は、「黙々と活動している下部の同志を、運動に対する深い懐疑におとしいれた」。その過程で「直接行動派は益々左翼化し(……)遂には『迫害も亦真個の社会主義運動に避く能はざるものとして甘受すべき也』と言う程観念的になっていった。」そして「大逆事件による直接行動派の最後的壊滅は、この左旋回過程の論理的帰結でさえあった。」「このような絶望的な状況の中で、直接行動論は労働者大衆によるゼネラル・ストライキ幸徳秋水)から、天皇暗殺の個人的テロ(宮下太吉、菅野スガ)へと変質していった。」しかし、これが仮に事実生じた「帰結」であったにせよ、それが直接行動論の「論理的」帰結であったのかどうかは、実は辻野の論考ではまったく論証されていない。あるのは、「事実」を錦の御旗にした強弁でしかない。
辻野は、直接行動論のとった方向性を「玉砕」と表現しさえする。そしてこう言う。

しかしながら、支配階級の圧迫・弾圧の中にあっても、「玉砕」がとりうる唯一の途ではなく、支配階級と対峙したまま時をかせぎ、その間に運動の大衆的基盤を生み出してゆくこともまた可能であった。この可能性は、田添鉄二の戦略論片山潜の組織論の中にあった。

そう、結局、「時期尚早」であり、「段階を踏まなかった」からダメだったのであり、「戦略」がなかったからダメだったのだ、というわけだ。
しかし、1968年の全共闘運動を直接行動論の盛り上がりの最後としても、もう40年間、日本の左翼運動は議会政策派が主流となっているが、そうやって40年間たっぷり「時をかせいだ」その結果はいったいどうであろうか?「運動の大衆的基盤」とやらがゆるぎなくできあがっているとでも言うのであろうか? 現在の状況は、むしろ秋水のこの言葉どおりになっていないだろうか?

スイスでもドイツでもフランスでもアメリカでも、その他いかなる普通選挙の下においても、選挙で勝利を占めた者は、多くは最も金のある者、もしくは最も鉄面皮の者、もしくは最も人気取りに巧みな者で、国中、または党中の第一流の人物が選出されるのはきわめてまれな事実である。ゆえにこれまで厳正な意味において民意が代表されている議会は、世界を通じて皆無といっていいぐらいだ。そのとおり、たとえ普通選挙の下においても議会は決して完全に民意を代表し得ないというのは、今日では万国の学者の多数が認めるところである。(……)しょせん議会は人民の多数すなわち労働階級によって組織されるものではなくて、労働階級を敵視し、または踏み台とするブルジョワジーによって組織されるのは、現今の事実である。(……)イギリスは去年すでに50名の労働者を出した。しかもこれらの議員は当選するやいなや、その多くは直ちに労働者気質をなくしてしまって、美衣美食のブルジョワジーの風にカブレて得々としているので、はげしく攻撃されているではないか。

先に共産党を除名となった筆坂秀世はこう言っている。http://anarchist.seesaa.net/article/27198449.html

よくよく考えてみるとね、党を作って80年以上たってね、そして、政権を獲れない姿というのは誇らしい姿なんだろうか、ということですね。長いことが尊いと、「日本共産党は老舗の政党です」なんてコピーを考えたこともありました。しかし、待てよと、これは正しいのか。80年たって、政権を獲れなかったというのは失敗したということじゃないか。ましてや革命政党なんですからね。80年もかかって革命ができないというのは、ハッキリ言って大失敗ということですよ。しかし、いま共産党にいる人は気がついていない。
結局、80年たって何が残ったかというと、高齢化なんです。青年がいないんです。しかも平均年齢も50歳を優に超えているんです。共産党の地方の支部に行ってごらんなさい。そこでまず最初に聞かれるのは「どこどこの鍼灸師は痛くない」ですから。(笑) これで革命できます? (大笑) できっこないですよ。
革命というのは若い力です。明治維新だってそうでしょう。若い力、若い考えですよ。下級武士ですよ、立ち上がったのは。そんなの、どこの世界だってそうでしょう。そりゃねえ、70歳の党首がいてね、平均年齢が50〜60歳の人がいてね、そして青年は入ってこないと、こんな組織が、何で革命できます? 長きことの党活動、少なくとも革命の看板を下ろさない政党、そんなものは有り得ないですね。そうすると、余計なことはしない。それが党の主流なんですよ。官僚と同じになる。ものすごい官僚主義になる。小役人的になるって事ですね。共産党を辞めて、その長い歴史が弱点になっていると気付いた。

「時期尚早論」というのは、結局「行動」を延期する、ということであり、乱暴にいえば、結局「行動をしない」ということなのだ。「いや違う、未来に向けての準備の行動をするのだ」と言うのかもしれないが、それはつまり「手段」としての行動、ということだ。しかし、本当は「手段」と「行動」は相容れないのだ。時期尚早論は、行動を手段と化してしまう。それに対して、直接行動論は、「あらゆる行動を手段としてではなく目的として扱え」と主張するのである。行動するとは「いまここで」行動する、ということだ。そのことは、辻野が件の論文で(批判のために)引用している文章のなかで、幸徳が雄弁に述べている。

労働者は議会場に上るの必要はない、議会は取れなくてもいい、土地を取ればいい、金を取ればいい、何月何日から労働者に引き渡すと云ふやうな法律を決めてから取るの必要はない

「土地を取ること」「金を取ること」「パンの略取」が目的なのであって、「議会を取る」ことは「目的」ではない。

*1:リンク先の右上の「本文を読む・探す」の、CiNiiPDFというアイコンをクリックすると読める。