首切り職員村に行ってきました


先週の金曜日、あいにくの雨でしたが、こちらでで書いた、京都の首切り職員村に行って来ました。
何しにいったのか、というと、言うまでもなく、京大による「非常勤職員5年でクビ」ふざけるな!スト断固支持!ということで応援に行った……わけなのですが……でも、応援、といいながら単にじゃましに行っただけのような気も今思えばします。でも、unionextasyさんは、そんな私をも暖かくコタツに迎え入れてくれました。ストもかなり長丁場になり、お疲れだったと思うのですが、ありがとうございました。さらに、はてなのオフ会のような状況も生まれ、居心地もよくてついつい長居してしまい、気がつくとすっかり暗くなっていました。
というわけで、帰り際に撮った写真を紹介したいと思います。

写真

↓「ストライキ決行中」の下に赤い郵便受けが見えますが、「606-8317京都市左京区吉田本町 京都大学時計台前クスノキ下 首切り職員村」宛で、ちゃんと郵便物も届くそうです。
 
↓かの有名な首切りマグロです。右にある小さいのはハマチですが、こちらは腐ってしまって現在はないようです。マグロはいい具合に干物化しているとか。

↓かの有名なドラム缶です。ドラム缶風呂の映像は必見です。
 


↓そのほか、京大構内の、関連のタテカンなどです。しかし、こうした威勢のいいタテカン、残念ながら最近は他の大学では、どこももうほとんど絶滅状態ですね。
↓「へんな契約書にはサインせえへんで ユニオン・エクスタシー」
 

 

↓関西非正規等労働組合ユニオンぼちぼち左京分会のタテカン「京大爆砕 理由:5年で職員を首だから」

動画

関連動画です。
↓声明など
 


↓スト初日〜4日目の動画
 

 

↓インタビュー

 

蛇足

連帯ノート?には、「脱自的結合とは溶融集団です」と書いたのですが、これは半分冗談ですが半分まじめです。ユニオン・エクスタシーをunion extatiqueとすると、脱自的結合、となりますが、これが、サルトルの後期の主著『弁証法的理性批判』の「溶融集団」なんだ、というコジツケです。
でも、脱自ek-staseはサルトル哲学のキーワードというのは本当です。前期の主著『存在と無』には、対自存在(まあ、「人間」のことと考えてください)は、三重に!脱自構造をもつ、と繰り返しかかれています。とにかく、主体性の哲学とか言われて批判されてますが、もっとも初期から、サルトル哲学は自己同一性を批判する「脱自の哲学」です。で、それは後期でも同じで、『弁証法的理性批判』で批判されている「集列性」というのは、自己同一性にもとづいた、結合ならざる結合、卵のように閉じたバラバラな個の寄せ集めをあらわします。そういう状態を突き破って生成するのが、開かれた結合、脱自的結合、「溶融集団」なのです。
……なんちゃって。