クソ桶のサル

 サルトルが死んだ1980年、『現代思想』誌は「特集=サルトル ある時代の終焉」を発行した(7月号)。この特集には、「特別企画=サルトルの死についてどのようにお考えですか」と題した、吉本隆明をはじめとした各界39人によるサルトルの死に寄せた文章が収録されている。なんども読んでいるはずなのだが、今日ちょっと久しぶりに読み始めたら、ちょっといままでスルーしていたところが非常に面白く読めてきて、思わず読みふけってしまった。中でも、内村剛介の「クソ桶のサル」と題された一文は、非常に面白かった。もちろん、初めに読んだ時も、強烈な印象は持ったのだが、その表現に圧倒されて、あまり読み込めていなかった。今読むと、註として引用されている小山俊一氏の文章も含めて、いろいろ考えさせられた。
 シベリア抑留を体験したある意味「当事者」である内村剛介氏のサルトル批判は、ソ連ラーゲリ(収容所)に関わるものであるかぎり、サルトルカミュ論争にも密接な関係をもっている*1。この文章(と小山俊一氏の文章)はかなり根本的な問題を提起していると思うのだが、それについて詳しく書く余裕は今はない。
 ところで、この文章で内村氏がサルトルを批判する語調は、とても激しいものである。しかし、そこにとらわれてしまってはまずいと思う。語調とか、語法というものが重要だ、という議論は分かるのだが、そればかりが強調されてしまうことで見えなくなるものも、またあると思う。
 といいつつ、内村氏の文章の、サルトルを罵倒する語調は、あまりに面白すぎるので、そこの部分だけとりあえず引用してみる。

サルトルはぼけている。少なくともその政治談義はおはなしにならない。二十世紀はラーゲリの世紀なのであり、ラーゲリを折り込まない政治思想はマンガであるのに、そこがいっこうに見えていないし、見ようとする心構えさえできていなかった。それがサルトルである。ぼけているとしかいいようがない。実存もへちまもあるか。実存が百千万の単位で消えていく時代にエントヴェルフェンハイト*2とか何とか言って甘えっ子でとおしたのがサルトルである。いい気なもんだ。百千万の実存亡霊になり代わってぼくはそういう。偉そうなことをさもかしこげにさえずって世の善男善女をまどわすのもほどほどにしろ。しょせん愚かではないか。ならばさっさと黙って死んでいけ。ぼくはサルトルの文字を見るとそう言った。ワイパーがほしかった。サルトルの顔に吐きかけるタンツバを拭いとるためのワイパーがである。タンツバを拭いとってはタンツバを吐き、また拭いとるといった気持ちだ。図星でその目にタンツバが命中するまでワイパーを使いたい。そう期してほしがるワイパーなのであった。(p.149-150)

 タンツバを拭いとるワイパーって……すごい表現だ。
 しかし、さすがにこれだけでは何なので、もう少し批判の中身にかかわるところも引用しておく。

サルトルは半生にわたってソ連擁護をつづけた。「わがコミュニストたちが収容所と圧制を甘受するのは、階級なき社会を待ちうけているからである」(『現代』誌五〇・一)*3ラーゲリは必要悪というわけである。ラーゲリという二十世紀の文明形態に思想上の根拠を与えようとする態度はみじんもなく、おざなりのレージィ・ボーイぶりである。ヒットラーへのフランス・レジスタンスなんて英米の後ろ盾もあり、だいいちちまちましていてたかが知れているではないか*4。それよりももっと深刻重大な文明の変質を偽善の形で示すものがソ連ラーゲリなのに、サルトルの眼はひんがらめで何も見ない。いや見ようとさえしないで怠けている。五六年のハンガリー事件のとき、サルトルは、スターリン主義は余儀ない廻り道であった、と言い同年のフルシチョフ秘密報告に接してもなお、「あの報告はもっとのちになさるべきだった」とほざいている。そのご六二、三、四、五年には足しげく毎年モスクワ参拝に出かけて、ジイドが二十五年まえに唾棄した作家同盟と仲良しクラブを作っている。
 サルトルのひんがらめが少しまともになるのは六八年〔のチェコ事件〕からである。彼はここではじめてソ連を批判し作家同盟と絶縁する。(……)最近では〔ソ連アフガニスタン侵入を批判し〕インタビューで「ソ連は右翼国家である」というまでになっていた*5
 〔アフガニスタン事件の二十三年も前の〕ハンガリー事件のときにもソ連は右翼国家だった。遅刻した知識人たちにもそれがやっと見えてきた。だのにサルトルには見えていない。これしきのことが見えなかったサルトルのアタマをいっこうに買う気がしないのは至極もっともなことではないか。(p.150-151)

 この辺は「事実」としては、まったくその通り。しかし、これらの事実をもって、今の時代高みから冷笑的にサルトルを否定するのはあまりに容易であり、つまらないと思う。*6だが、こう言った瞬間、このような問いが頭をもたげた。上の文章をこう言い直したら?
 「日本が行った行為は、「事実」としては、まったくその通り。しかし、これらの事実をもって、今の時代高みから冷笑的にかつての日本を否定するのはあまりに容易であり、つまらないと思う。」
 「サヨク」に反感を持つ人の中には、こうした感覚を持っている人も多いのだろうな、と思う。
 この後は、ある意味で典型的な知識人批判。

 現代の知識人は大衆のあとからやっとこさっとこ走っているということだ。そのくせ大衆*7の前方へ駆け出しては「このリコウな顔をみてくれ、この澄んだ眼を見てくれ」と哀訴する。たいしてみたい顔ではなし、さきほどもいうとおり、それはじつはタンツバをひっかけたくなるほどのものなのだ。「その顔をみたらタンツバをひっかけたくなる顔」を罵詈に豊かなロシヤではたった一語で「ハーリャ」というが(……)
 みんながかしこくボケていく。世界中がクソ桶になっていく。サルトルはボケながらもいいときに死んだのかも知れない。サルトルの"実在"とか"投企"とかはちょいと一ひねりひねった気の利いたコマーシャルだった。なんのことはない、こいつは二十世紀末世のテツガク的ナルシスム、テツガク的マスターベーション。それ以上じゃない。(p.151)

 さて、これにどう答えるか……。
 結びの言葉はまたすごい。思わず、爆笑してしまいました。

サルトル・クン、君とははじめから縁がなかったようだ。それだけに傍からよく見た。当事者のサルトリアンよりは傍観者の目がよく見える。オカメ八モクとはよくしたもの。いまキミはサルトリ合戦さながらクソだまりへ落ちていく。これはもろもろの知ったかぶりの罪障のむくいだから助けようもない。なに今さらサルの一匹や二匹、そこへ入ろうと入るまいとどうってことはない。クソ桶はさなぎだに沈香をただよわせている。(p.151-152)

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 内村剛介氏については、太田昌国氏の「「ソ連論」で共感し、「日本論」で異論をもつ
内村剛介『わが身を吹き抜けたロシア革命』を読む
」が参考になります。

*1:氏は直接この論争に触れているわけではないのだが。

*2:「投企」。『図解雑学サルトル』p.86,106,204参照。

*3:Ecrits de Sartreをちょと見たかぎり該当するようなテクストは見あたらないが、さらに調べなくては。

*4:これを聞いて激怒するフランス人もいるでしょうね。

*5:この辺の変化ついては西永良成『晩年のサルトル』が詳しい。

*6:内村氏の場合言葉は激しいが、高みからする冷笑とは感じられない。

*7:しかし、「大衆」とは何か……難しい。